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それからちょうど一カ月たった七月十日、ルノー側シュバイツァー会長と日産側塙社長が、東京で初会合をもった。
この期間を、日産側は「ルノー側の検討期間」と位置づけている。
ドゥアン氏は、この時期をふり返って、「七月下旬、われわれはショッピング・リスト≠決めた」という.ノンヨツビング・リスト″とは、今回の資本提携に関連して交渉しうる事業リストである。
八月一日には、両社にあるチームが結成された。
その名を合同進行委員会といった。
メンバーは、両社から五人ずつ選ばれた。
ルノー側のまとめ役はドゥアン氏、日産側は鈴木氏であった。
この体制で、八月三一日、同委員会は一五項目におよぶ課題の検討にはいった。
具体的には、開発、生産を含む技術課題、商品別の特性とコスト、プラッフーム(卓の基本土台)の内容、商品別の市場戦略、エンジンの特性とコストなどであった。
この委員会で、日産とルノーの有形無形の財産は総ざらいされた。
参画した関係者も、両社合わせて約一〇〇人におよんだ。
文字通り、休日返上で、このチームのために働いた。
この作業は、九月からゆうに三カ月はかかった。
じつは、この期間こそ、両社メンバーにとって、またとない意思疎通の場となった。
おたがいの社風の差から、生活風土のギャップにいたるまで、好むと好まらざるとにかかわらず、体験させられた。
この間へ両首脳は、パリ(九月一〇日)、シンガポール(十月一日)へ東京二一月十日)と場所を変えて会談している。
このころ、塙社長はさまざまなインタビューの機会をとらえて、外国企業に三分の一以上の株式を渡してもいい、と語っていた。
ダイムラーC社からも出資の話はきていた。
それは、公にはされていないが、ルノーの額を上回るものだった。
一二月二三日、日産・ルノーの両首脳は東京で、日産の経理状況を中心に調整する覚え書を締結した。
これで、ルノー側はクリスマス休暇にはいり、日産側は正月休みにはいった。
三月一〇日、ダイムラーC社は日産自動車にたいして、これまでつづけてきた資本提携交渉を終了すると発した。
これまでつづけてきた交渉の、事実上の決裂だった。
その二日前の三月八日、ダイムラーC社はスイスのローザンヌで、役員を中心とした経営戦略会議を極秘のうちに開いていた。
日産問題にどう決着をつけるか、最終討議をするためだった。
討議は、肯定派の「レッド・チーム」と反対派の「ブルー・チーム」に分かれて、それぞれの立場で徹底的に行なわれた。
その時間は、なんと九時間におよんだという。
結局、・シュレンプ・ダイムラーC社共同会長(uwo)にゲタは預けられた。
熟考をかさねるシュレンプ氏は、「もう一度、塙社長に会おう」と決意、目的を告げることもなく 、東京・日産本社に連絡、みずからは専用ジエツ機上の人となった。
日産本社に着いたときは、一〇日午後三時前後だった。
塙社長との会談は約三時間、六時には日産を辞している。
「ダイムラー、日産と決裂」との外電が世界に打たれたのは、六時四五分を回っていた。
日本からトンボ返りしたシュレンプ氏は、十日、スイスのモントルーで開かれた会議に出席、日産との決裂にいたった経緯を報告、対策を練った。
シュレンプ会長は、あとでこうふり返っている。
「日産との交渉決裂は、むずかしい問題だったが、正しい判断だった」と。
筆者もまた、正しい判断だったと思う。
日産との交渉を打ち切った一〇日以来、ルノーの動きはじつに急テンポとなった。
これで日産との交渉には、ライバルがいなくなったからだ。
一三日、シュバイツァー会長はパリで塙社長と会った。
そこで、ルノー側は、日産に出資する金額をさらに引き上げた。
三日後、ルノーは取締役会を開いて、日産への出資を三六・八%、日産ディーゼルには二二・五%とすることを決議、中央労使協議会でも諒解を得て、二七日、正式発となった。
経営立て直しを急ぐ日産と、グローバル化を急ぐルノーその間を行き交う問題は、山積している。
当面の課題をピックアップしてみよう。
日産サイド、ルノーサイド、共通課題を拾ってみると、このなかで、とくに急を迫られているのが、車檀(ブランド、プラッフーム)の調整であろう、両社の主要車種をクラス分けしてみると、なお、分類はヨーロッパ方式によっている。
両社は、この持ち駒から競争力のある商品をピックアップする作業をすすめている。
中期目標商用車 として、二〇〇五年までなんとかしてあと五〇万台を上乗せするためである。
ちなみに、九八年、日産のせ界販売は約二六五万台、ルノーのそれは約二一〇万台、計約四七五万台だった。
これを当面、二〇〇五年までに、五三〇万台にもっていく、つまり五〇万台上乗せ計画である。
そのころの商品の五〇%が両社共同開発による新車、残りの五〇%がたがいに相手のブランドを冠するクロス・バッジ車となる。
前者が登場するのは、早くて二〇〇二年になる。
両社はその持ち駒を、どのように活かしていくのか。
フランス発ルノーサイド情報は、商品の世界最適市場化戦略をとるという。
たとえば、アメリカ市場である。
ルノーは、九九年三月、ジュネーブ・モーターショーにアバンチームを出品した。
スポーツクーペとミニバンを合体させたような画期的デザインである。
コンセプは、「クーペスペース」。
乗用車の高級感とミニバンの実用性をミックスした。
車高はエスパスより低いが、大型の二ドアと同じく大型の四シ1が特徴である。
プラッフームは、エスパスと共用している。
エスパスは、昨年ヨーロッパ市場のミニバン・クラスで販売一位(六万二九一四台)だった定評ある人気車である。
ヨーロッパでの発売は、二〇〇〇年春を予定。
日産との再編がまとまる前の生産計画では、年間六万八万台の予定だった。
この新車はアメリカ市場では、日産インフィニティ・ブランドで売られる予定である。
もちろん、ヨーロッパでも発売される。
そのときはルノー・ブランドである。
なぜ、アメリカではインフィニティ・ブランドになったのか。
かつてルノーはジープの生みの親AMcの株を四六・一%もっていたSl\D(スポーツ多目的車)のはしりともいうべきジープに関心をもっていたからである。
ところが八七年、C社がAMcを吸収合併したとき、その株を手放してしまった。
当時苦境にあったルノーは、ヨーロッパ市場に乗用車部門を集中させる意向だったからだ(商用車部門では、いまでもアメリカのマック・トラックスの株式一〇〇%を保有する)。
このとき以来、アメリカ市場とは、乗用車の緑が切れた。
シュバイツァー会長も、「われわれは、アメリカ市場には拠点もなければ、ブランド・イメージも強くない。
その点では、日産のほうがはるかに大きな存在感がある」と、インタビューで答えている。
それを即実行に移す可能性が出てきたのだ。
一方、日産のインフィニティとは、アメリカの高級車販売部門である。
トヨタでいえばレクサス、本田でいえばアキユラである。
インフィニティはいま乗用車ではインフィニティ130はじめ四車種、商用車ではQX4などを扱っている。
その高級車部門に、早くもインフィニティ・ブランドの最新モデル、アバンチームが戦列に加わるという。
さらに、当面のヨーロッパ戦略はどうか。
いずれ、日産はテラノ(cJDサをモデル・チェンジする。
その後継車が、日産ブランドとルノー・ブランドで販売されるといわれている。
テラノは、九八年へヨーロッパでの販売台数が二万六六六一台、一〇指にあまる日産ブランド卓のなかでも四位の売れ行き、全ヨーロッパのSUV市場で五位だった。
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